子どもと公共ホールを結ぶ<道>はどこにあるか
演劇と子どもたちの創造性について
ジョイントフェスティバル愛知協議会は、2016年にスウェーデンから二つの劇団、シアター・ペロとシアター・トレを招聘することになりました。どちらもスウェーデンを代表する劇団です。そのスウェーデンでは子どもの文化がどのように語られているのか、スウェーデン文化交流会(出典:スウェーデン文化交流会発行 2006年2月 JFS 117a)が発行している紙面から覗いてみました。ここには文学、絵本、ダンス、映画、ビジュルアルアートなど様々なジャンルから、子どもの文化について語られています。このすべてを紹介することはその量からも難しく、ここでは演劇と子どもたちの創造性について紹介することにしました。
スウェーデンの児童文化
スウェーデンの作家で教育者のエレン・ケイ(1849-1926年)が「児童の世紀」と名づけた時期を通じて、子どもについての一般的な考え方は大きく変わった。また、子どもたちが文化を経験する権利、そして文化を通してその夢や感情を表現する権利についての考え方も非常に大きく変化した。今日、子ども時代は成人期が始まるのを待つ準備期間ではなく、それ自体がひとつの大切な時期と見なされている。子どもたちが文化に出会うのは、大人としての生活について何かを教わったり準備したりするためではない。泣いたり笑ったり、また自分の感情を目に見える形で表現したり、あるいは今この場所で自分のことをまじめに考えてもらう機会を与えてもらうために、子供たちには文化に出会う権利がある。文化は世界を広げてくれる。スウェーデンの児童文化には、子供たちが創造力を育み、自分なりの表現を見つけられるようにするという、はっきりした目的がある。それはアーティストになる訓練をするためではなく、自分の人生を豊かにするためのものであると。
21世紀初頭の今、多くのスウェーデンの子どもたちにとって、書籍、演劇、音楽、ダンス、美術のどれもが生活から切り離せないものとなっている。子どもたちが文化に触れる権利は、子ども時代という概念と完全に統合され、さらに「国連児童の権利に関する条約」でも取り上げられている。エレン・ケイが生きていたら、このような進展を見て満足したことだろう。ケイはすでに1900年に、子供には創造力を養えるような美しいものに囲まれる権利があると主張していた。また、20世紀初めにヨーロッパからスウェーデンに伝わった、美学に重点を置く革新的な教育方法を推進する大きな力となった。
このような精神に支えられ、学校の補助教材や薄暗く殺風景なことが多かったインテリアを近代化し、改善するための努力が続けられた。この目的のため、教育関係当局はその時代の何人かの有名な作家や画家に協力を依頼した。1906年、セルマ・ラーゲルレーヴの有名な「地理の教科書」である『ニルスのふしぎな旅』が出版され、子供たちも教師も、丸暗記によって覚えたことではなく、楽しい読書によって吸収したことこそ、心や頭の中にいつまでも残るのだということが分かったのです。
演劇
スウェーデンの子供向けの演劇はもはや、よそいきの服を着ておすましした子供たちだけのものではなくなった。これまで演劇とは上中流階級の子供たちがクリスマスに連れて行ってもらうようなものだったが、今では社会階級や住んでいる場所に関係なく、ほとんどの子供たちが舞台を見ることができる。政府の芸術政策では、子供たちには優先的に芸術を鑑賞させるよう定めている。もっとも残念ながら、政府の考えはまだ現実には完全に実施されているとは言いがたい。
子供向けの演劇があらゆる面で子供に近づいたのは、1970年代に台頭した急進主義に負うところが多い。当時は役者も監督も劇作家も皆、スウェーデンの劇場から姿をくらまし、全国の学校の体育館へと散っていった。それは演劇を子供たちの生活の自然な一部にするためであり、子供たちのために書かれた演劇に彼ら自身の経験を反映させるためであった。また、このように各地へ散った劇団は、子供たちが自分は特別に選ばれ、認められた存在だと感じることができるよう、少人数の観客に見てもらいたいと考えていました。
(スウェーデンの各地にあるいくつかの公立劇場の活動やその特徴も語られていますが、ここでは児童演劇えの息吹をお伝えしました)
子供たち自身の創造性
「子供たちは誰よりも素晴らしい芸術家だ」と、ヘニング・マンケルは言う。マンケルは子供向けにも大人向けにも本を書いている作家だ。「子供時代には、想像力と現実は同じくらい大切で、同じくらい大きな力を持っている」「大人になって芸術家になろうとするクレイジーで情熱的な人は、子供の時に育んだ想像力を取り戻そうと一生努力しなければならない。素晴らしい芸術家なら誰でも、必ずその子供時代がインスピレーションの源になっているはずだ」子供の創造力を理想化することはたやすい。芸術とは何よりもまず知識を得るための手段であり、自分自身や自分の存在を理解するために私たちはさまざまな表現方式を使う。子供たちはミューズの世界を自然に動き回ることができる。子供たちが文化に触れられるようにするのは、大人の責任である。なぜなら文化こそ、子供たちの創造的活動の基盤になり得るものだからである。ダンスをしたり、歌ったり、音楽を奏でたり、あるいは絵を描いたり、劇をしたりする子供たちは、自己表現や読み書き、それに数学においても優れている。これは証明された事実である。この事実を踏まえると、文化的体験はそれなりに価値あるものと考えられる。しかし、親が成果主義になるという危険性もはらんでいる。
ダンスや言葉や絵、歌や音楽や演劇といっても、小さな子供たちはそれらを区別して考えたりはしない。フィンランドの神経学者、マッティ・ベルイストロム(Matti Bergstrom)教授によると、子供たちは「可能性のめがね」をかけているのだという。
何でも、他の何か予期せぬものに変身する可能性がある。それはちょうど芸術と同じだ。遊びの本質は、混沌状態に道筋をつけることであって、隣の2歳の子供より自分のほうが上手な絵が描けることを親に見せることではない。だからこそ、創造的なプロセスに自ら関わっているアーティスト、子供たちと同じように芸術はそれ自体が報酬であり、あらゆる文化的な境界を越えて好きなやり方で作り直し、焼き直せるものであることを知っているアーティストに、子供たちが出会うことが非常に大切なのである。だがまた子供たちには、少年期の発達の過程を熟知している教師も必要だ。子供たちは必ずしも今の現実を生きる強さを持っているわけではない。彼らの現実が困難で自力で対処できないような時、自分なりのやり方を編み出さなければならない。夢は子供たちがこの世を生き抜くのを助けてくれる。遊びを楽しみ、創造力を発揮することが、私たちの持てる一番大切な能力なのである。
ピア・フス(Pia Huss)、カッタ・ノルデンファルク(Katta Nordenfalk)
著者のピア・フスとカッタ・ノルデンファルクはスウェーデンのアート・ジャーナリストである。ピア・フスはスウェーデン最大の日刊紙「ダーゲンスニューヘーテル」で、児童文学と児童演劇の批評記事を担当している。
カッタ・ノルデンファルクは児童や青少年の文化、特に芸術分野について、教育雑誌「ペダゴジスカマガジネット(Pedagogiska Magasinet)」やその他の出版物に寄稿している。この記事に表明された意見の責任は、すべて著者に帰属する。